「どうしたの?急に今からうちに来いだなんて」

 携帯で呼び出された桃花は、半ばあきれたような声で言った。

 

 咲夜の家は、学校からバスで十五分ほど離れた、高級住宅街のはずれにある。

 高校に入学してすぐに住み始めた家なので、まだ十分に新しい。

 全体に、ロッジかペンションを思わせるような丸太作りの家で、上は二階に屋根裏部屋、下にはさらに、地下の書庫まであるという、一人と一匹が住むには広すぎる家だった。

 高校生がこれだけの家に一人暮らしというのは非常に珍しいが、考えてみれば、咲夜が安っぽいアパート暮らしをしている姿などは思い浮かばない。

 そう思ってみると、その家の造りは、新城咲夜という人物に、もっともふさわしいような気がした。

 

古賀(こが)さんに会ったんでしょ?」

敷居との段差のない、咲夜の家の玄関で、靴を脱ぎながらの確信に満ちた桃花の問いに、すでに私服に着替えた咲夜が、ああ、と短く答える。ところどころ破れたジーンズに、ボーダーの半袖。なんでもない服装だったが、普段制服しか見ることのない学校の知り合いが私服を着ているというのは、なんとなく新鮮な感じがする。

その後ろに、巨大な狼ほどの大きさの真っ白い獣、ヴァンが控えていた。

 

最初に見たときも巨大だと思ったが、こうして明るいところで見ると、ヴァンはかなり大きい。咲夜の腰のあたりに肩がある。犬よりもやや鼻が細長く、瞳の色は青みがかった金色だ。犬というより、猫の瞳の色に似ている。長い毛で覆われた体と足は、そのわりにほっそりとしていて、図鑑で見たことがある、寒い地方の馬のように、足の先の毛が特に長くなっていた。全体的な特徴をまとめればやはり犬にしか見えないが、尻尾を見ればたしかに、狐というのも納得がいくほどに、犬にしては不自然に大きい。襟巻き状の(たてがみ)のある首には、シルバーのチェーンの先に板状のネームタグがついていた。装飾体で『VAN』と彫ってある。

 

「・・・・・・あのぉ」

 ヴァンに見とれながら、そんな二人のやりとりを聞いていた希望が、遠慮がちに声をかけた。

「なんで私が呼ばれたのか、イマイチわかんないんだけど」

鞄を両手で抱えて、玄関で突っ立ったまま途方にくれたような顔をしている希望に、咲夜は相変わらずの眠たそうな視線を向けた。

「あぁ。少し気になることがあってな。もしかして、門限とかやばいのか?」

 だったら別の日にするが、という咲夜に、希望は眉根を寄せた。

「やばいって言ったら、別の日でも、差し支えないの?」

「ある。下手をすると命の保証はない。」

 さらりと、とんでもないことをいう。

 希望はため息をついた。

「・・・・・いま聞くよ。家には遅くなるって伝えてあるし。でも、なんか、私はここにいていいの?聞きたいことはあるけど、会話についていけないっていうか」

 遠慮がちに言う希望に、咲夜はとりあえず中に入るように促した。

「時間があるならいい。今から順を追って説明してやる」

 

 

「話はどこまで聞いてる?」

一階のリビングにあるテーブルを囲み、全員でソファに座ってから一呼吸。

 一度思い出したように立ち上がって、キッチンから、右手にミネラルウォーターのボトルと、左手に三人分の氷を入れたコップを器用に持って来た咲夜が、そう切り出した。

(たかし)のことは?」

「あ、ごめん、言ってないや。ほとんどなにも話せなかったのよ。咲夜にちょっかいだす悪魔がいるって話だけ」

 桃花が、コップにそれぞれ水を注ぎながらその問いに答えた。

 そうか、と呟いて、咲夜が続ける。

「その悪魔の名前は、古賀(こが)(たかし)。姿形は人間だが、正真正銘の悪魔だ。俺が中学のときから、折を見てなにがしか手を出してくる。何が目的なのかは知らないが、本人は遊んでいるだけのつもりらしい」

「なんで悪魔って断言できるの?だって人間のかっこうなんでしょ?それに、この日本で悪魔なんて」

  妖怪だったらまぁ、なんか、いそうかなって気がするけど、と首を傾げる希望に、咲夜は少し驚いた顔をした。

「そうか・・・・・・・悪魔についても多少誤解があるな」

「それが一般人の反応なわけよ」

 希望の隣で、桃花が笑った。

「悪魔や神や妖怪などという肉体を持たないものは、ある物を媒体にしていまや世界中に存在している。どういうことかわかるか?」

「えーと、『信じればいることになる』ってことかな?『ピーター・パン』の妖精みたいに」

  頭を捻りながら答えた希望に、咲夜は頷く。

「上手い例えだ。『子供が妖精を信じないという度に、妖精が一匹死ぬ』という考え方と似ている。だとしたらその『媒体』になるものは?」

 その問いに、希望が眉を寄せて黙り込む。

「テレビや新聞・・・じゃあ、情報として広まっても信じることにはならないよね・・・。小説だとフィクションになっちゃうし」

 降参、と、希望が両手を挙げる。

「宗教だ。」

 咲夜が短く答えた。

「もともと日本には、『神道』という文化と呼べるものはあっても、唯一絶対の神を崇める、という意味での宗教は存在しなかった。だから、妖怪や物の怪といった抽象的な邪物はあっても、神の敵である存在はいなかった。日本において『神』の敵は『神』でしかなかったからだ。そこへ、キリスト教をはじめとする宗教が『輸入』されてきた。もともと唯一絶対神のいなかった国だ。どんな神でも受け入れてしまう寛容さがある。良くも悪くもな。この日本ほど、様々な宗教が雑多に入り混じった国は、世界的に見てもそうないぞ」

「そっか。神様同士が喧嘩せずに存在できちゃうんだ」

 日本ってすごい。

 妙なところに感心している希望を差し置いて、咲夜は無言で足を組みなおす。

 内心では、希望の適応の早さに関心していた。

 頭の回転も速い。

 さすが学年トップの頭だな、と、武彦からの情報を思い出していた。

 が、そんな様子は微塵も感じさせない。

「そこでさっきの話に戻る。が、悪魔といっても、(ひと)(くく)りにはできない。まあ、宗教の輸入によって日本に今現在入ってきているのは数多いが、有名なキリスト教の『七つの大罪』の悪魔を省いて言えば、『ソロモン王の悪魔(スピリッツ・オブ・ソロモン)』、つまり、『レメゲトン』と呼ばれる魔導書の 第一章、『ゲーティア』に登場する七十二人の悪魔が次に有名だな。これは、ソロモン王が書いたとされる魔導書で、それぞれの悪魔には特定の紋章と名前があり、それさえわかれば呼び出すことが可能だ。―――――ここまでは理解したか?」

 次から次へと飛び出す聞き覚えのないオカルト専門の単語を、希望はそれぞれを三度繰り返すことで暗記したようだった。

「う、うん、大丈夫。たぶん。」

 目を泳がせている希望を見遣って、咲夜は軽く頷いた。

「で、古賀崇は、その『ソロモン王の悪魔』のうち一人の悪魔にあてはまるわけだ」

「は?」

「・・・・・続けるぞ」

「う、はい」

今度は腕を組みなおして、咲夜が続ける。

「悪魔の名前は『Halpas(ハルパス)』。一般的に、平和の象徴である鳩の姿で描かれることが多いが、その姿に反して、性格は好戦的だ。召喚されると、武器と兵を集め、戦争を巻き起こす。まったく、トラブルメーカーなところは、数百年前から変わっていないらしいな」

 肩をすくめる咲夜に、希望は混乱する頭を懸命に整理しようとしていた。

 ここまでくれば、どんな非現実的な話も否定する気が起きない。

「うーと、悪魔の名前が・・・は、ハルパス?なら、古賀崇ってのは、だれの名前なの?」

「あ、それはあたしも知らないや」

 希望に続いて、桃花が小さく挙手する。

 気のせいだろうか。

 咲夜が一瞬表情をゆがめたような気がした。

「・・・・・・さぁ。俺に初めて会ったとき、自分でそう名乗ったんだ。」

 しかしそう答えた咲夜は、すでにいつもの無表情に戻っていた。

 気のせい、だったのかもしれない。

 さらに希望は、話題を変えて質問する。

「その、ハルパス?って、誰が呼び出したの?悪魔は人間が呼び出さないと、出てこれないんでしょ?」

 どこかから、と質問した希望に、咲夜は肩をすくめる。

「それがわかれば苦労しない。呼び出された悪魔は、召喚主の忠実な僕だ。そいつの命令ならどんなことでも聞く。それが悪魔との契約だからな。つまり、人間の姿をとらせることも、強制的にもといた場所に帰すことも可能なわけだ。悪魔の働きに対する、相応の報酬と引き換えにな」

 召喚主がわからないからそれはできない、ということだ。

 希望は小さく首を傾げる。

「それで、私とその悪魔と、どんな関係があるの?」

 突然確信をついた希望の質問に、咲夜は小さくため息をついた。

「・・・・・・いきなり結論か?」

「だって気になるんだもん。私が変なものを見たことと、何か関係あるんでしょ?」

上目遣いにこちらの顔を見る希望に、咲夜はもう一度ため息をついた。

「崇と大平の間には、これといってなんの関係もない」

 え、と言って驚く希望に、咲夜は続けた。

「だが、もしかしたらと、思ってな」

 言いながら、考え込む様子だ。

 しばらく自分の顎の辺りに指をあてて、あらぬ方向へと視線を固定させる。

「そうだな。あの日、俺たちを見る前に、猫を見なかったか?」

 唐突に、咲夜が言った。

「猫ぉ?」

 意外な質問に、希望が間の抜けた声をあげる。

「ああ。トラ猫か、ブチか・・・・・・・・・そのあたりだと思うが」

 希望は少し考え込んだが、やがて肩をすくめた。

「いてもわかんないと思うな。うちの近所ってやたら猫が多いからさ。ブチ猫やトラ猫なんて、いくらでもいるよ」

 それがどうかしたの?といって首を傾げる希望に、いや、と呟いて、咲夜がヴァンに目配せをした。それを確認したヴァンが、くるりと身を翻して、地下の書庫へ降りていく。

「今の時点では、何かあるとは断言できないが、ないともいえない。今日のところは手が出せないな」

「じゃ、もう帰っていいの?」

「待ってろ。今護符の代わりになるものをやる。何もないよりましだから、絶対に肌身離さず持っていろ」

 そこまで言ったとき、ヴァンが何かを(くわ)えて戻ってきた。

 咲夜がその口から何かを受け取って、ソファに座り込み、なにやら作業を始める。

「ゴフ?」

 なにそれ、と独り言のように言った希望に、お守りのことよ、と桃花が答えた。

「普通は、紙に文字みたいなものを書いた、お札のことを言うんだけど、咲夜の場合は、念とか、力を込めた別のものを使うの」

 へえ、と感心している間に、咲夜が立ち上がった。

「ほら。これを持っていけ」

 手渡されたのは、小さな水晶の角柱に、麻紐を巻きつけて首から下げられるようにしたものだった。

「ありがと。でも、これだけで大丈夫なの?最初に言ってた、命の保証ってのは」

 受け取りながらの希望の質問に、咲夜はさあ、と無表情に肩をすくめた。

「相手の能力しだいでは、気休め程度かもしれない。だからと言って、俺は陰陽師じゃないから式神をつけるなんて高度な技はできないし・・・・・・まあなんとかなるんじゃないか?」

 淡々と、意味不明な言葉の羅列を聞いたような気がするが、いや、陰陽師くらいは以前オカルトブームで流行ったから見たような気がするが、質問したところでなにか解決するわけでもなし、なんとも無責任な発言だが、ここでは咲夜を頼るしかない。

「じゃ、帰るよ」

 お邪魔しました、どうもありがとう、と棒読み気味に言って、希望は玄関を出た。

「あ、あたしも帰るわ。途中まで一緒だし」

 桃花も一緒に立ち上がった。

 玄関から顔を出した咲夜に、希望は思い出したように振り返った。

「あ、あのさ、この話って、秘密にしておいたほうがいいの?ともだちとか、家族に」

「好きにすればいい。たいていの人間は信じないし、信じる人間は害にならない」

 それを聞いて、希望はほっとする。

 すぐに顔に出てしまう希望は、友人たちに対して、後ろめたい気持ちを隠しきれずにいたのだ。

 気をつけて、と、咲夜が二人を見送る。

 部屋へ戻ると、時刻は六時を少し回ったところ。

 しばらく考えたあとで、咲夜は電話を手に取った。

 

『火眼金睛、ですか?』

 電波不感知のため三度かけなおして、ようやく繋がった携帯越しに、相手が言った。

 

 綴喜(つづるき)(かい)()

 新城咲夜の現在の『保護者』であり、唯一の『仲間』でもある。

 十二年前、綴喜の義父がある施設から当時六歳だった咲夜を引き取り、現在に至っている。

 三年前に亡くなった義父の跡を継いで若干二十三歳にして、世界的大会社の社長でとなった。特殊な体質を持つ咲夜のための医者でもあり、また、国内異例の飛び級を重ねた究極の頭脳を持つ天才でもある。

 長身だが、女性のような優しげな面持ちと落ち着いた物腰で、咲夜が絶対の信頼を寄せる相手だ。

 

『それはありえません』

きっぱりと言い切った。

「俺も、崇の言ったことを信じたくはない。しかし、あいつは『Ose(オセ)』が来ている、といった。『Ose(オセ)』の能力で、直接的に人間を火眼金睛へ変化させるということは、不可能か?」

『たとえばどんなに状況がそろったとしても、その子が人間である限りは、火眼金睛を得るはずがありません』

「だとしたら、どうしてわざわざそんな能力を植えつけたかが問題だ。悪魔にとって、本性を見破られることは最大の脅威のはず。なのに、仮に火眼金睛ではないとしても、それと似た能力を人間に与えて、悪魔たち(やつら)になんの得がある?」

咲夜の問いかけに、綴喜はしばらく沈黙する。

『・・・・・・・・わかりません。とりあえず、こちらでも調べてみます。過去の悪魔召喚の例を見れば、なにか似たようなケースがあるかもしれない』

「調べるって、会社にいるんじゃないのか?」

『引き上げます。場合によっては、そちらのほうが重要ですから』

 ヒト一人の命がかかっているからにはね、と、軽く言ってのける。

「わかった。俺もすぐに動けるようにしておく。なにかわかったら連絡をくれ」

 ことがはっきりするまでは、待機しているより他にない。

 わかりました、と相手が答えるのを待ってから、受話器を置いた。









                             
                              

第4話

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