翌日。

 始業時間前の、翡翠ヶ丘高校一年八組。

 希望は、ぐったりと机に突っ伏していた。

「希望?どうしたの?頭でも痛い?」

 教室に入ってくるなり、りょくが心配そうに覗き込む。

 それに対し、希望はくぐもった声を出しただけだった。

「どうしたのよ。悩み事?」

 再度声をかけたりょくに、ようやく希望が、突っ伏したまま顔をこちらに向ける。

「・・・・・・・・・・・・・・・も、ヤダ。」

 泣き出しそうな声で、言った。

「何なのよ、いったい」

 りょくが、わけがわからない、という表情をする。

「昨日の放課後の用事と、関係あるの?」

 昨日、咲夜のクラスに行くとも言えず、ちょっと用事があるから、といって、希望はりょくを先に帰らせたのだった。

「・・・・・ある。」

 起き上がらずに、答える。

 そんな希望を見て、りょくは小さくため息をついた。

「話しなさいよ、聞いてあげるから」

 そんなりょくをじっとみて、

「・・・・・私が言うこと、馬鹿にしないで全部信じてくれるって、約束する?」

 希望が言う。

「そんなに信じられないような話が始まるわけ?」

 冗談めかして言うりょくに、希望は真剣に頷く。

「できれば、私も嘘だと思いたい。」

 その、あまりに真剣な言いように、りょくは一瞬言葉を失う。

「・・・・・それは、新城先輩関連?」

「うん」

 即答する希望に、りょくは少し考え、頷いた。

「いいわ。あの先輩がどんな話をしても、納得できる気がするもの」

 話して、と促すりょくに、希望はようやく体を起こした。

 

 

「―――――――つまり、新城先輩は妖怪で、悪魔に狙われてて、希望はなぜか、普通見えるはずがない妖怪が見えるようになっちゃったから、その話に巻き込まれちゃった、ってわけ?」

 すべての話を一言にまとめて、りょくが言った。

 希望はそれに頷くが、他人の口から言われると、それがどれほど現実離れしているかがわかる。

 

 すでに昼休みになっていた。始業前では話しきれず、一時間目から四時間目の休み時間と、授業中に回した手紙とで、ようやく昨日の話を話し終えたのだ。

 

「なるほど、それは信じられない話だわ。希望が最初に信じてって言わなきゃ、笑い飛ばしてる」

 そういうりょくは、馬鹿にしているようすは少しもなかった。真剣に、希望の話を信じて、どうしたら希望にとってもっとも良いようになるのかを考えているようだった。

  さすが私の親友。

  密かに希望は感動する。

「武彦には?話すの?」

「・・・うん・・・・・一応、今朝私の心配してくれてたし、話せば信じるだろうけど、あいつ、たいてい男友達といるから、いつ話そうかと思ってさ」

 弁当の玉子焼きをフォークごと食べながら、希望が言った。

「電話でもメールでもすればいいじゃない。なんとでもなるわよ」

 こともなげに言って、りょくはサンドウィッチをほおばる。

「それで、今朝突っ伏してたのは、その話を昨日聞かされたせいだったの?」

「うー・・・・・それもあるけど、なんか・・・見えちゃう、んだよね・・・・・・」

 視線を泳がせて、希望は問いかけに答えた。

「新城が言ってた、けっこうどこにでもいるって話、本当みたくてさ、昼間はほとんど見ないけど、夕方とか、昨日だけでも、けっこう変な生き物の群れに会ったし」

  特に、電車の中とか、交差点とか。それは意外と、人ごみに多かった。

 幽霊と違うから、怖くはないけど、気持ち悪い。

  煙のように、どこからか出てきて、蛇のように道路を這うのだ。

  逆に、だれも通らないような四つ辻には、巨大なモノがただ、立っている場所もあった。

 それを聞いたりょくが、うわ、といって眉根を寄せる。

「・・・大変ね」

 それぐらいしか、言えなかった。

 見えてしまう者(・・・・・・・)の気持ちは、見えない者(・・・・・)には理解できない。

「ううん、どうせ見えるだけだもん。私も触れないけど、向こうも触れないから、攻撃されるってことはないけどね」

 しかし、本人はそれほど深刻には考えていないらしい。

 そんな様子に少しほっとして、りょくは微笑を浮かべた。

「なんか、巻き込まれたのが希望でよかったかも」

 笑いながら、冗談めかして言う。

「なんでよぉ」

 うんざりした顔で、希望が不満そうに頬を膨らませた。

「ほら、五時間目、科学室だから、早くいかなきゃ」

 ごまかすようにりょくが言って、立ち上がる。

 待ってよ、と、希望もあわてて立ち上がった。

 

―――――教室を覗き込むように、ベランダの手摺りに止まった白い鳩には、誰も気付かなかった。

 

科学室に移動しての科学の授業は、先日行われた期末テストの答案返却と、答えあわせだった。

「希望、どうだった?」

 早速聞いてくるりょくに、希望は苦笑する。

「よくできた、と、思うけどさ」

 ぴら、と机に置いた答案の点数は、九十八点。もちろん百点満点中だ。

「なにが不満なのよ、学年一位」

「だってぇ、あと一問ってなんか悔しいんだもん」

 贅沢ね、といって頬を膨らませるりょくの後ろから、武彦が覗き込んで、

「希望、おまえ相変わらずな」

 吹き出した。

「昔から頭はいいくせに、ヤマカン当たったことないだろ」

 俺とは反対だよな、といって笑う。

 どうやら、テストの最後に先生が面白半分で出していた、クイズの選択問題のことを言っているらしかった。

 問題はというと、数学の先生の飼っている犬の名前、古典の先生の血液型など。あくまで遊びなので、テストの点数には加算されない。が。

「まるっきり勘が頼りの、しかも選択問題なのに、十問中二点てどうよ?」

 ちなみに俺は満点だったぜ、と得意そうに胸を張る。

「うるさいなあ。しょうがないじゃない、そんなの」

 むう、と眉根を寄せる希望の頭を軽く叩きながら、武彦は笑っている。

「遊園地の迷路では迷うし、かくれんぼの鬼になると誰もみつけられないし、お菓子持ってるのはどっちの手だ、とか絶対当たらないし。勘使う遊びは苦手だったもんな」

 そうなんだ、と笑いながらりょくが言った。

「だってわかんないんだもん」

 頬を膨らませる希望に、がきんちょ、と武彦が馬鹿にするように言う。

 ほら席につけ、という教師の声で、教室は静かになった。

 

 頬杖をついて座った希望は、ぼんやりと、窓の外を見た。

 夏の青い空と、濃い緑が広がっている。

 蝉の声が、暑苦しく響いている。

 何の変哲もない、普通の、夏の風景。

 それに、なんとなくほっとして、希望は少し、微笑んだ。

 

 

 その日の放課後。

高校の敷地内の端にある弓道場。

 翡翠ヶ丘高校弓道部は、県内でも一、二を争う実力を持つ。全国大会にも、何度か出場している。

 その実力の割に道場の規模は小さいが、床は磨かれ、的を置くための安土は常に手入れされ、きちんと管理されていることがうかがえた。

 今日明日の二日間、県内で小規模な試合が行われるため、部長をはじめとするレギュラーは不在で、そのほかの部員の練習は、自主練習になっている。

 そのせいで、道場は静けさに満ちている。

コーン、と、澄んだ音が響いた。

 新しく張られた的に、真っ直ぐに矢が当たる音だった。

 

 新城咲夜は、矢を放った体勢のまま、しばし、静止する。

 

「―――――憲司(けんじ)か」

 

 呟くように言うと、咲夜が背を向けていた道場の入り口から、少し驚いたような声が上がった。

「よくわかったな」

 竹之木進(たけのきしん)憲司(けんじ)

 咲夜と同じクラスで、弓道部。

 がっしりとした体形の長身で、日に焼けた顔は精悍という言葉がふさわしい。

 いかにも体育会系の外見は、弓道部というより、バスケットボールのほうが似合いなほどだ。

 咲夜との付き合いは中学校からで、学校内の誰よりも長く、『普通の人間』でありながら、桃花と同じく咲夜の身上を知る人物でもある。

 今は、左手の甲から手首にかけて、痛々しく包帯が巻かれている。

 数日前、柄の悪い他校生の喧嘩に巻き込まれた際に負った怪我だった。

 いわく、

「妖怪より人間のほうが、よほどタチが悪い」

 それを聞いて、もっともだ、と咲夜は頷いたのだった。

 

 憲司は、制服のまま道場に上がりこんだ。

 咲夜も同じく制服のまま、弓を引いていた。

  ブレザーの上着を脱いで、白いワイシャツ一枚の姿だ。

「咲夜、おまえどうして今回の試合に出なかったんだ?」

 唐突に、問いかける。

「練習じゃ、ばりばり当ててるくせに、選手決定戦の記録会ではさんざんはずして」

 わざとだろう、と、確信に満ちた表情でいう。

「・・・・・べつに。運が悪いだけさ」

 弓を壁際に立てかけ、?(ゆがけ)をはずす。

 無表情に言った咲夜の言葉に、反論は返されない。が、憲司の表情はそれで納得した様子ではなかった。

 的を貫いた矢を取りに行こうと、咲夜が憲司とすれ違おうとしたとき、

 

「―――――またやっかいな問題を抱えてるんじゃないだろうな」

 

 目を合わせずに、憲司が言った。

 咲夜が立ち止まる。

 漆黒の憲司の瞳と、翡翠の咲夜の瞳がかち合った。

 やがて、咲夜が不敵な笑みを浮かべる。

「だとしたら?」

 瞬時に、憲司が眉を(ひそ)めた。

「・・・・・・・古賀崇か?」

 逆に問いかける憲司に、咲夜は答えない。

「いい加減、あいつを封印したらどうなんだ?お前ならできないことはないんだろう。おれには、あんなやつを野放しにしておくことが理解不能だ。・・・・・・それとも、おまえまだ引きずってるのか?和希(かずき)の―――――」

 

「憲司!」

 

 苛立った時に似た、常にない大声で、咲夜が静止の声を放った。

 憲司が、思わず押し黙る。

「・・・今回は、おまえの出る幕じゃない。それより、さっさと怪我を治せ」

 そうとだけ言って、視線を逸らす。

「信用できないな」

 背後から、すぐに、答えが返ってくる。

「おまえはすぐに嘘をつく」

 それに対し、咲夜は、わずかに笑い声をもらした。

「俺が嘘をついてるんじゃないさ。真実が、その都度入れ替わるだけだ」

 ほんの少し、哲学的なことを言って、咲夜は外に出る。

 憲司は、それ以上何も言わなかった。

 


咲夜に呼び出されてから数日。

お守りの効果か、とくに変わったことは起こっていなかった。

ただ、気を抜くと、見なくていいものを見てしまったりするのだが。

 

武彦には、りょくと話した日の夜に、電話で全てを話した。

黙って最後まで話を聞いた武彦は、いつものように茶化すようなことは一切せず、労わるような声で、言った。

 

『希望、なんかあったら、一人で悩まないで俺たちに相談しろよな。黙ってお前が悩んでるって思うほうが、俺もりょくもつらいんだから。』

 

 

その日、希望が家に帰ると、祖父からの置手紙が、茶の間のテーブルの上に置かれていた。

 たかがメモだというのに、筆ペンで書いたらしい達筆で、今夜から泊りがけで出かける、という内容が書いてあった。

 そういえば、柔道のなんとか交流会があるから、明後日の夜まで帰らないとか言ってたっけ。

 思い出しながら、希望は唐突に不安になる。

 

 例のことは、りょくと武彦以外、家族も知らない。頭が柔らかいはずの自分たちだって疑いたくなるようなことを、大人にどんなふうにして理解してもらったらいいのか。その術を思いつかなかった希望は、大人も信じなくてはならないくらい決定的な何かが目に見えて起こるまでは、下手に説明せず黙っていようと決めた。

 信じないくらいならまだしも、病院などに入れられたら敵わない。

 

 希望の両親は、いまは二人ともアメリカの研究室にいる。

 そのため希望はこの家で、祖父と二人で暮らしている。

 ということは、明後日の夜までこの家に一人きりだということだ。

 しかも今日は金曜日だ。学校に行く平日に比べると、家にいる時間がやたら長い。

 今までも、祖父が今回のように家を空けることは何度かあったので、一人で過ごすのはこれが初めてではない。けれど。

 まるで、学校で怪談話を聞いた小学生だ。

 今はこの広い日本家屋の家が怖くて仕方ない。

 まだ日も暮れていないというのに、なぜか不気味に感じた。

 

 ・・・・・・りょくちゃんちにでも、泊まらせてもらおうかな。

 電話してみようかと思いかけた。

 その時。

 

「わあっ!!

 

 突然鳴り出した自分の携帯電話の着信音に飛び上がった。

 な、なにもこんなタイミングで鳴らなくてもいいじゃないかっ!!

 八つ当たり気味に思いながら、着信画面を見る。

 

『相沢桃花先輩』

 

 急になんだろう。新城関連かな?

 そう思いながら電話に出る。

「もしもし?希望です」

『あ、希望ちゃん?桃花だけどね、急にゴメンね』

「いいえ、大丈夫ですよ。なんかあったんですか?」

『あのね、この間、あんまり話ができなかったから、もしよかったらだけど、うちに泊まりに来ない?』

!!

 なんというタイミングだろう。願ってもない。

 そうしたらこの家に一人でいないで済む。

 しかし希望は、まだそれほど親しいとは言えない、しかも先輩の家に泊めてもらうのはどうしたものかと考える。

 しかし、それを遮って、電話口で桃花が続ける。

『・・・えーと、たぶん希望ちゃん、色々考えちゃってると思うから白状するけどね、実は、咲夜に言われたの。大平に連絡取ってみてくれって。意味がわかんなかったんだけど・・・咲夜の言うことだからなんかあると思って。もしかして、今日おうちの人、出かけちゃって一人?』

 どうかな、と繰り返す桃花に、希望は電話を握ったまま固まった。

「な、なんで・・・?」

『あ、アタリだった?ん〜・・・あたしにもわかんない・・・けど、咲夜のはたぶん、勘?かなぁ・・・』

 困ったように桃花が答える。

『それから、もし遠慮とかしてるんなら必要ないよ?あたし、アパートに一人暮らしだし』

 希望は、またしてもわけのわからない敗北感を味わいながら、桃花の申し出に甘えることにした。

「えっと、その、じゃあ、今日、お邪魔してもいいですか・・・・・・?」

 他人の家に泊まるなんて、小学校のころ武彦のうちに泊まって以来だ。

『うん!大歓迎だよ。といっても、なんにもないからご飯作るくらいしか出来ないけどね』

 苦笑しながら、桃花が答える。

「そんなことないですよ、私、ひとりでうちにいること考えたら」

 電話では見えないのに、首を横に振りながら、希望が言った。

 桃花が声をあげて笑う。

『じゃあ、今六時前だから・・・七時に、翔華大(しょうかだい)付属(ふぞく)高校前のバス停まで来られる?』

 翔華大付属高校前なら、歩いて五分とかからない。

「はい!用意して行きます!」

 待ってるね、という言葉を聞いてから、電話を切った。

 ・・・・・・桃花先輩って一人暮らしなんだ。でもバイトとか別にしてる様子もないし、高校生が一人暮らしなんて、もしかして桃花先輩のうちってお金持ちなのかな?それともなにか複雑な問題が・・・?

 思わずぐるぐると考えてしまったところに、プルプルと頭を振って切り替える。

 お泊りお泊り。

 鼻歌を歌いながら、希望は支度を始めた。

 
















                            
                              

第5話

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