聖ミシェル学院の、寮の屋上。

普段は施錠されていて入ることの出来ないその場所で、どうやって入り込んだのか、赤いずきんを被った小柄な影が、なにかを思案するように佇んでいた。

両手が使えるように、腰の携帯電話から繋いだコードから伸びる、耳に付けたインターカムの呼び出し音が鳴った。

「こちら、ユウト。…なに?」

 少しばかり不機嫌そうな、特徴的な、可愛らしい少女の声が、その呼び出しに応える。

『アヤです。先ほど、《銀竜》らしき数値を捕捉しました。場所は都内…翡翠が丘駅の近くに移動中です』

 耳に直接伝わるのは、聞きなれた女性の声だ。

「翡翠が丘…こっちよりもそっちのが近いか。やっとみつけたと思ったのに…移動中じゃ、今日中に仕留めるのはどっちにしろ不可能っぽいし………数値を捕捉ってことは、やっぱり《中身》だけじゃないってことだね」

『そのようです。あ、いま、依頼用のアドレスにメールが届きました………《イチイ サユキ》…これは』

 ニィ、と。

 赤いフードを被った少女の口元が、笑みの形をとる。

「ビンゴじゃん。いまからそっちに向かうから、事務所の地図と時間指定の返信を大至急しておいて」

『指定の時間は何時にしましょうか?』

「午後六時。それで間に合う」

『了解しました』

 そこで、電話が切れた。



「やっと動き出したのか、《銀竜》」




 リン、と。



 軽やかな鈴の音と共に、走り出した。

 赤いずきんから覗く、猫のような金色の瞳が、夕闇に煌いた。







運良く、バスがすぐにきたおかげで、ミカは、五時五十四分に、目的の場所にたどり着いていた。


地図に記されていたはずの場所。

高層ビルの、隙間。

いや、隙間というには広すぎる土地。

そこには、古い洋館のような建物が、ひっそりと建っていた。



都内とは、とても思えない。

大通りから、たった一本、横道に入っただけなのに。



赤茶けたレンガ造りの、かなり広大な洋館。

おとぎ話に出てくる、教会にも見える。

いかにも古そうな建物なのに、苔や蔦の生えた様子もなく。

よく見れば、古そうなのはその建物自体の造りだけで、建物全体を囲っている黒いとがった柵も、入り口まで続くレンガの道や庭も、綺麗に整えられていた。

ただ、その外見だけでは、その場所がいったい何を行う場所なのかは全く分からない。

とにかく、人が住んでいるのであろう気配はある。

入ったとたんに囲まれて襲われるなどということはないだろうと開き直り、ミカは屋敷内へと踏み込んだ。

大きくそびえる扉。

何かは分からないが、とにかく木でできていることは確かだ。

呼び鈴はなく、代わりに大きなノッカーが付いている。

ノッカーの形は、獅子ではなく…どうやら猫のようだった。

意を決して、金属で出来ているらしいそれを手に取った。

ゴン、ゴン、と。


重い音が、室内に響いているのだろう。

扉を叩いて少しすると、パタパタと、予想を裏切って軽快な足音が、室内から近づいてくるようだった。


ガチリ、と、これもまた重々しい鍵が開けられる音がして、さらに重たそうな扉が、ゆっくりと開く。

思わず身構えたミカの前に現れたのは。

「………子供?」


ミカの胸の辺りに顔があるくらいの、十歳にも届かないようにみえる少女だった。

銀髪というか、白髪というか。

ふわふわと、柔らかそうな髪が、少女の肩の辺りで揺れている。

くりっとした、ピンクがかった灰色の瞳は、身長差のせいで少し上目遣いになって、余計に大きく見えた。

少々地味だが、愛らしいといえる顔立ちは、どこの国の人種の特徴とも言えず、しかし日本人とは明らかに違っている。

黒い、軍服を想像させる、きっちりとした制服。銀色の釦や、左肩の肩章には、十字架のような、紋章が描かれている。短いスカートに、ブーツまでもが、黒。しかし、着ている本人があまりに幼く、ふわふわとしたイメージなために、それほど威圧感はない。




「いらいにんの、かたですね」




  意味を理解しているのか、微妙な発音でそう言われ、ミカははっと我に返る。

「そ、そう、です、たぶん」

依頼人?私は依頼したの?一体何を?

幾つかの疑問が駆け抜けたけれど、この少女に聞いてもきっと詳しいことは聞けないだろう。

なんとなくそう思って、ミカはとりあえずこの屋敷に入ることを考えた。

「しょこで、ごしゅじんさまがおまちです」

ギギ、と音を立てて扉を開き、少女がミカを招いた。

書庫?ご主人様って…この屋敷の主人のことだろうか。

招かれるままに、ミカは扉の中へと入る。

それを待って、少女は再び扉を閉め、鍵をかけた。

「こちらへどうぞ。」

  鍵をかけ終わると、今度はミカの前に立って、歩き出す。





屋敷の中は、外から見たとおり、いや、その想像以上に広かった。

べつに行ったことはないけれども、内装は十九世紀くらいの、欧州の貴族の屋敷を連想させる。

玄関ホールの中央には、装飾された階段が、まるで映画のセットのように伸びている。

長く続く廊下や、ホールのいたるところに、絵画や美術品が置かれていて、それでいて屋敷全体に重厚感が漂い、安っぽい感じは全くなかった。

「ここが、しょこです」


 やがて、開かれた扉の、しかし中の様子がうかがえないようにカーテンのひかれた部屋の前で、案内役の少女が言った。

 それがこの屋敷の何階で、どのあたりに位置するのかはもう、ミカにはさっぱりわからなかったが、とりあえずその場所へと到着したようだ。

 一人でもとの道を戻れと言われたら、かなり自信がない。

「ユウトさま、いらいにんをおつれしました」

 劇の台詞のように、少女はカーテン越しに中へ呼びかける。

「ショウ、中につれてきて。かまわないから」

その声に、ミカは驚愕する。

どう考えても、いま目の前にいる案内役の少女とそれほど変わらない年齢の少女の声だ。

これが、ご主人様…?

さらに、カーテンの中から聞こえてきた声には、なんとなく聞き覚えがあるような気がした。

尊大な話し方を裏切る、特徴のある、可愛らしい声。

  はい、と返事をして、ショウと呼ばれた案内役の少女は、カーテンをゆっくり引き上げた。

 

「はじめまして、依頼人。」

引き上げられたカーテンの奥。

数メートルの距離に、アンティークらしい大きな椅子が一脚。

揃いのテーブル越しのそこに、大量の本や書類に埋もれるようにして、足を組んだ姿勢で座る少女が一人。

年齢はおそらく、十三、四歳。

  まるで少年のように短く切った、漆黒の猫っ毛。

  驚くほど白い肌の色と、幼いながらも整った顔立ち。

  気の強そうなアーモンド形の瞳は、長い睫に縁取られていて、しかもその色は、琥珀を溶かしたような、黄金。中央の虹彩は、真昼の猫のように、縦に一本。

両耳のうえに当たる位置には、ベルベットの赤いリボンを結んで、その端を、肩を越すほど長く垂らしている。

白いレースのついた薄い色のワンピース、細い腰にはやや不似合いな、なめした革のコルセットをしている。

短いスカートから覗く、左の腿には、これも白いレースのガーター。

そして、腰まで届くマントのついた、赤いずきん。

「あなた………《猫》?」

ミカは、そう口にしていた。

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