昼間より、夜のほうが好き。

 同じ風景が、ひどく幻想的に見えて、

 どこか、知らない町に迷い込んだ、

 アリスの気持ちに、なれるから。

 片桐憂は、黒いコートの襟を片手でかき合わせ、コンビニの袋を持ったままのもう片方の手を、口元へ寄せて息を吐きかけた。

 白い息が、ほんの一瞬だけ目の前をよぎる。

 手袋をしてこなかったことを後悔しながら、右手にはめた時計を見遣る。

 とうに日付が変わっている時間だ。

 少なくとも、中学生が一人で出歩く時間ではない。

 明日提出の作文を急に思い出し、作文用紙を切らしていたせいで買いに走る羽目に陥った。そんなもの一日くらい遅れたところで何の問題もないのだが、どうしても無視できない己の性格を恨めしく思いながら、憂は前かがみになって歩いていく。

空を見上げて 雲を越えて

風を集めて 虹を探して

いつの日か いつの日か

わたしと共に 行きましょう・・・

一つ目の横断歩道を渡ってすぐの小路から、高く響く歌声が聞こえる。

不審に思って覗き込むと、暗がりに一つだけ灯る街灯の下で、両手を広げて歌う少女の姿をみつけた。見たところ、年齢は憂とあまり変わらない。

長い黒髪と、暗闇に浮かび上がる白い肌。

街灯に照らされた煉瓦色のケープは、どことなく古風な雰囲気を纏っていた。

誰もいない暗闇で、なのにまるでだれかに聞かせているように、目を閉じて、微笑を浮かべて、澄み切った歌声を響かせている。

高く響く声はよどみなく、けれどその歌詞は稚拙でありきたりで、彼女の即興の歌であることを物語っていた。

立ち止まった憂に気付いて、少女はひどく驚いた顔をした。

猫のような瞳を見開いて、そのあとで、困ったような視線を憂に向ける。

そんな少女の表情に、憂は気付いているのかいないのか、顔色一つ変えずに、無感動な瞳を向けている。

「・・・ここで何を?」

 憂は、無表情に問いかけた。

 少女は一瞬、びくりと肩を震わせると、慌てたように首を激しく横に振った。

「わからないのか?」

 さらに問いかけた憂に、少女は悲しそうに、頷く。

「気付いたらここで歌っていた?」

 少女が、頷く。

「・・・・・歌うことができても、話すことはできないのか」

 その言葉は、問いかけと言うより、確認だった。

 少女の表情が泣き出しそうな顔になる。

 憂は、軽くため息をついた。

「まぁいいさ」

 発せられた言葉に、少女の双眸が再び驚きに見開かれる。

「ただここで歌いたいだけなんだろう?誰を引き込むわけでもない。それなら、俺には関係ない。好きなだけ歌えばいいさ」

 暗がりに向かって話しかける憂の側を、不思議そうな顔をしたサラリーマンが通り過ぎた。

「じゃぁな」

 踵を返した憂の、ついさっきまで向けられていた小路には、どこまでも闇が広がっていた。

 電球の破裂した街灯は、明かりを灯さなくなってから何年も過ぎたように、ひどく寂れている。

澄み渡った空に、少女の歌声は、誰の耳にも届くことなく、高く響いていた。

新月

あとがき


ミエテルコたちシリーズ(笑)
・・・だから深く考えたらダメなんだって。

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