十一月の終わりの乾いた空。

放課後の教室に、カッカッと黒板にチョークを走らせる音が、やけに大きく響く。

「と、いうわけで」

 チョークの音がやんで、黒板に向かっていた新聞部部長がくるりと振り向いた。

「来月の学校新聞のテーマは、これでいきましょ!」

 そういって、手のひらでバン、と黒板を叩く。

『オカルト特集』。

やけに上手な字で書かれたそれ。

一瞬の沈黙。そして、

「ええええっ!?」

 部員七名全員が抗議の声をあげる。

「部長ー!」

「ちょっと待ってくださいよ!今十一月ですよ?」

「よけい寒くなるじゃないですかあ!」

「それじゃなくても、この学校暖房壊れてて寒いってのに」

「あ、それじゃあ、暖房がいつ直るかって話だけでも十分怖い話なんじゃ」

「はいはい静かに!」

 ざわついた教室が、副部長の一言で静かになった。

「暖房がいつ直るかってのは置いといて。内容は別に、怖い話に限らなくたっていい。一応俺と部長でいくつか候補を絞っておいたんだ」

 再び、部長が黒板にチョークを走らせる。

 音楽室の怪、真夜中のプールサイド。

 駅前の公衆電話、海岸沿いのカーブミラー。

 次々に書かれていく項目を、部員たちは言葉も発せず、目で追っていく。

 最後に、隣町の神社の噂、と書かれたとき。

「あ」

 坂城伊吹(さかき いぶき)は声を上げた。

 静まり返っていたために、小さいはずのその声が思いのほか響いてしまって、伊吹は慌てて口を押さえる。

「どうかした?坂城くん」

  手を叩いてチョークの粉を払う部長の言葉に、伊吹は口を押さえたままで首を横に振ったが、すでに全員の視線が集中してしまっている。伊吹は仕方なく手を口から放した。

「噂は知らないけど、その、隣町の神社って、僕のうちの近所だなあ…なんて」

「よし!」

 いい終わるか終わらないかのうちに、副部長が強く頷いた。

「それじゃあこれでいこう!神社の噂!取材は坂城!」

「え!?」

「なあに、坂城は一年とはいえ、かのベストセラー作家の孫だから大丈夫だ!」

「で、でも、あんまり関係ないと思うけど」

「な!みんな、異存はあるまい!」

 賛成、と拍手がおこる。

「え、あ、ちょっと、ぶ、部長!」

 助けを求めるつもりで呼んだ部長は。

「坂城くん」

 ぽん、と肩に手をおいて、

「取材、お願いね。」

 にっこりと微笑んだのだった。

 帰り道。伊吹は深くため息をついた。

 よりによって、一人で取材なんて。

 オカルトめいた話が苦手なわけではなかった。伊吹が一人での取材を嫌がる理由は他にある。もともと、人前で話すことが得意ではない。しかも、ベストセラー作家の祖父を持ちながら、文系の科目が苦手。さらには、色素が薄く華奢な外見にも自信がない。

 そんな自分が嫌で、高校に入って新聞部に入部したはずだった。けれど、今まではずっと、友人の(たける)と組んで、インタビューや人と関わることは彼にまかせ、自分はひたすら裏方にまわってきた。しかし今回、頼みの綱の猛は、新聞部の他に掛け持ちしている運動部の大会にあさってから参加し、それから三日間は帰ってこない。

「でも、考えようによっては、いい機会かもしれないよね」

 声に出して、自分に言い聞かせる。

「よし」

 頷いて、走り出した。

 明日、学校が終わったら、その神社に行ってみよう。

「そういえばおまえさ、あの話知ってる?」

 翌日の学校帰り。

 今まで、駅前に新しくできたファーストフード店の話をしていた猛が、突然伊吹に話を振った。

「安藤いるだろ、英語の」

「ああ、やたら気合い入ってる男の先生でしょ?体育会系の」

「そうそう。あいつ海外に異動になるらしいぞ今度。終業式待たないで」

「え?」

「理由は詳しく知らないけどさ。でも海外だったら、あの飼い猫どうするんだろう。なんていったっけ?やたらしゃれた名前の。コンチェルトじゃなくて、アンダンテじゃなくて」

「クレッシェンドとか?」

「なんかそんな音楽用語だったんだよ。その猫どうするんだろうな。俺のクラスでは結構有名だったんだ、あの猫の存在。安藤もよく話してたし、変な名前だしさ」

 かなり可愛がられてたみたいだし、でも置いていかれるのかな、と、真剣な顔をして猫の心配をしている猛の横顔を見ていた伊吹が、突然吹き出した。

「なんだよ、人がまじめな話してるのに」

「ごめん。だって、猛ってば他人のうちの猫のこと本気で心配してるんだもん、おかしくて」

「だってかわいそうじゃないか。飼い主の都合で振り回されてさ。俺のとこも犬がいるし、おまえのうちも猫飼ってただろう?白っぽい猫。なんか他人事に思えなくないか?」

「うん、でも、うちの千草は気まぐれだから。あ」

 ふいに、伊吹が足を止めた。例の神社の前だった。

「おまえ、今から行くのか?」

「うん。だって、部長が早いほうがいいって言ってたし」

「ふうん。じゃ、がんばれよ。俺が帰ってくるまでに終わってなかったら、手伝ってやるからさ」

 じゃあな、と言って手を振る猛を見送って、伊吹は神社の鳥居に向かった。

『その神社を囲んでる林の中で、たくさんの光る浮遊物を見た、っていう報告があるのよ。1件や2件じゃないから、何かあることは確かだし、今の時期じゃ蛍でもないでしょう?それで坂城くんには、その浮遊物の正体を調べてきてほしいの。できれば、そのまま新聞になるような文章を書いてきてほしいんだけど、無理にとは言わないわ。幻想的な正体であることを祈ってるからね。あ、あと痴漢には気をつけなさいよ』

 帰りがけに、部長に聞いた話を思い出して、伊吹は神社の鳥居に寄りかかってしゃがみこんだ。痴漢に気をつけろといわれても、どう気をつければいいんだろう。肝心の神社の噂よりインパクトのある、冗談だか本気だかわからないような最後の言葉のほうが耳に残っている。

 考えてたって仕方ないから、林の中に入ってみようかな。

 神社といっても、鳥居と祠(ほこら)があるだけの小さなものだ。伊吹は立ち上がって、空を見上げた。参道を残して、周りには葉を落とした木々が枝を伸ばしている。その隙間から見える空は、完全な夜の闇ではなく、沈んだはずの夕日の色と、昼間の空の色が混ざり合って、鮮やかな薄紫をしていた。腕時計に視線を落とせば、四時二十一分。

 今の季節のこのぐらいの時間って、空がこんな色に見えるんだ。空色って、水色だけじゃないんだな。

 のんびりと空を見上げたまま、林へと進む。両手を前に突き出して、木にぶつからないようにゆっくりと、それでも上を向いたまま歩いていく。

 やがて、完全に沈んだらしい夕日の色が消えて、あたりは深い群青に包まれた。伊吹はようやく、上を向いていた頭を正面に向ける。しかし。

「…あれ?」

 気がつくと伊吹は、完全に林の中に入り込んでしまっていた。振り返ってみても、薄暗い林ばかりで、神社らしきものは見当たらない。

「そんな、神社を見失うほど歩いたつもりなんてないのに」

 自分の声が小さく聞こえる。

 制服のブレザーの胸ポケットに入った携帯電話を出してみても案の定、圏外。

 どうしよう、どうしよう。…どうしよう。

「ちょっとまって、落ち着いて落ち着いて。へたに歩くより、朝まで待ったほうがいかな。でも、たいして大きな林でもないし、まっすぐ走っていけば、どこかのうちの塀にたどり着くかな」

 わざと大きな声でそう言って、自分の頭の中を整理しようとした。通りはすぐそばのはずなのに、車の音も聞こえず、ヘッドライトの明かりも見当たらない。静か過ぎて不安になる。手近な木に寄りかかって座り込む。そのとき。

「あ。」

 遠くに、蛍のような明かりがたくさん見えた。しかしそれらの光は一色ではなくて、確実に蛍ではない。

 あれが、浮遊物?

 暗闇のせいで遠近感が感じられず、ぱっとみるとそれは浮いているようだが、よく見ると浮遊物ではなく獣の目が光っているように見える。それにしてもそうとうの数だ。

 なんだろう、野良犬かな。イノシシなんてことはないよね。

 今まで途方にくれていたのに、伊吹は不思議なほど冷静になっていた。取材しなければ、という気持ちがわいてくる。伊吹は、林に積もった小枝と枯葉を踏み鳴らしながら、その光る物体に近づいた。ところが、あともう少しというところで、その光たちは散ってしまう。音を立てて闇にまぎれたその正体が、わかりそうでわからない。

 深くため息をついて、その場所にまた座り込む。迷っていたことを思い出して、また途方にくれそうになったとき。

「だれ?」

 鈴を振るような少女の声とともに、音もなく目の前に明かりが現れた。

 暗闇に慣れた目には眩しすぎるほどの、蝋燭を灯したカンテラの明かり。

 思わず片手で目を覆うと、少女の声が再び響いた

「こんなところで、何をしているの?」

  その声が、少し刺々しい。伊吹はようやく目を覆っていた手を下ろした。真っ黒な長い髪に、やけに大きな瞳をした人形のような少女が、カンテラを下げて立っていた。漆黒のロングコートの襟を縁取る白い毛皮が、蝋燭の明かりのなかで浮き出て見える。

「あの、僕は、取材をしに来ただけで」

「けっして怪しい者ではって、続くの?十分怪しいわよ。あ、もしかして最近この辺に出没する痴漢?」

「ち、違うよ!だから、僕は学校新聞の取材をしに来ただけで、神社を見失っちゃったから帰れなくて困ってるんだ!」

 言いながら、伊吹は自分で驚いていた。初対面の、しかも女の子を相手に、自分の意思をここまで明確に伝えられたのは初めてだ。しかし、少女がそんなことを知るはずがない。

「つまり、迷子?」

 困ったような、笑いをこらえるような、どこか大人びた表情でそう聞かれて、伊吹は頷くしかない。恥ずかしさにうつむく伊吹に、少女が微笑んだ。

「わかったわ。神社まで連れて行ってあげる」

「それで、何の取材をしていたの?」

 枯れ枝が敷き詰まっているはずの林の中を音もなく歩きながら、少女が伊吹を振り返った。カンテラに照らされた大きな瞳にみつめられて、伊吹は言葉に詰まる。

「あ、えと、ここに、光る浮遊物がって…あ!?」

 そうだった!なんで忘れてるんだこんな大切なこと!

「どうかしたの?」

 足を止めて、少女が頭をかかえた伊吹の顔を覗き込んだ。

「ちょ、ちょっと待って。あのさ、ここの近くに住んでるなら、この林に光る浮遊物が出るって噂を知らない?僕、それを取材に来て、さっきみつけたのに、君に声かけられたら、帰ることで頭いっぱいになっちゃって忘れちゃって」

「落ち着いてよ。それなら知ってるわ。あれは浮遊物なんかじゃなくて、猫の目よ」

 肩にかかった長い髪を払い落としながら、思わず聞き逃しそうなほど自然に、冷静な声で少女が言った。

「猫?」

 情けないほど気の抜けた声で、伊吹が繰り返した。少女がまた歩き出す。

「そうよ。あの時間、空が薄紫に染まった日には、猫たちが集会をするの」

「集会?」

 珍しくもないとでも言いたげな調子で、妙なことを言う。けれど、この少女が言うと、なぜか本当のことに思える。伊吹は小さく首を傾げたが、それ以上はなにも聞かずに、少女のあとに続いた。今はなんだか、光る浮遊物よりも突然現れたこの少女のことが気にかかる。

「君こそ、あんなところでなにをしていたの?」

 今度は伊吹が問いかけた。

「友人と待ち合わせしてたのよ」

 振り向かずに、少女が答えた。

「あなたが立っていたあの場所で。でも、来なかったみたい。彼は気まぐれだもの、いつものことだけれどね」

 少しも気にしていない様子だ。伊吹はかける言葉を探したが、思いつかずに黙りこんだ。

 そのまま、数分程度だろうか、話すことがみつからず、真っ暗な闇の中を黙って歩いた。相変わらず、少女の足音はたたず、伊吹の踏む小枝の音だけが響く。

 神社から、こんなに歩いたっけ。

 そんなことを考え始めていると、

「今度、引っ越すの」

 少女が急に沈黙を破った。突然発せられた一言が理解できずに、伊吹がまた首を傾げる。

「引っ越す?」

「でも、私は連れて行ってもらえないかもしれない」

 前を歩く少女がうつむく。伊吹は驚いて声をあげた。

「どうして!?」

 家族で引っ越すのに、一人だけ置いていかれるなどということがあるのだろうか。

「引っ越す先が、海外なの。だから、色々と大変なのよ」

 学校のことだろうか。見たところ、少女は伊吹と同じくらいの年齢だし、同じ学校ではなくとも、高校生なのかもしれない。そういえば、猛が言っていた安藤先生も海外に引っ越すと言っていたから、もしかしたら娘なのかもしれない。それをたしかめようとして、口を開きかけると、

「ほら、着いたわよ」

 暗闇の先を指で示された。目を凝らすと、たしかにあの神社の鳥居が見える。

「あ」

 神社を眺める伊吹の隣で、少女が声をあげた。

「待ち合わせした友人だわ。千草!」

 そう叫んだかと思うと、長い髪を翻して、鳥居の奥へと走り出した。

 千草?うちの猫と、同じ名前!

 少女の向かう先は暗すぎて、人影は見えない。

ただ、銀色の猫が、一瞬横切るのを見たような気がした。

『コンチェルトじゃなくて、アンダンテじゃなくて、でもなんかそんな音楽用語だったんだよ。どうするんだろうな、あの猫』

 猛の言葉を思い出す。

もしかして。あのは先生のなんかじゃなくて。

「君の、名前は!?」

 気がついたとき、伊吹はそう叫んでいた。鳥居をくぐりかけるカンテラの明かりが、こちらを振り向いて、

夜想曲(ノクターン)」

 鈴を振るような少女の声がそう答えると、やがて闇に溶け込んで見えなくなった。

 しばらくの間、伊吹はその場所に立ち尽くしていた。ふと我に返り、

「ありがとうって、言い忘れちゃったな」

 つぶやくと、ゆっくりと歩いて鳥居に向かった。

 

 鳥居を抜けると、いつもの帰り道に出た。自動販売機の明かりを頼りに時計をみれば、四時四十七分。林に迷い込んでから三十分も経っていない。

 すごく長く感じたのに。

 ため息をついて、歩き出しかけると、頭の上から鈴を振るような、猫の声。

 見上げた塀の上に、猫が二匹。

 鮮やかな青い目と銀色の毛並みの、伊吹の家の気まぐれな飼い猫である千草と、漆黒の長い毛をした、大きな瞳の猫だった。その猫の胸の辺りだけが、ちょうど襟巻きをしているような白い飾り毛だ。

「ノクターン…」

 独り言のようにつぶやくと、漆黒の猫が、答えるようにもう一度小さく鳴いた。その声が完全に消える前に、二匹の猫は塀の向こうに消えた。

 伊吹はしばらく塀の上を見つめていたが、やがて歩き出した。

 この分なら、猛の助けを借りることも、文章に苦しみながら記事を書くこともなさそうだ。今日起こった出来事を、日記みたいにそのまま文章にしてみよう。

 そんなことを考えながら、足早に駆け出した。

 一週間後、安藤という英語教師は引っ越していき、その日以来、白い襟巻きをした漆黒の猫を、この町で見かけることはない。

あとがき

けっこう好きなんだけどなぁ・・・こういうの。
世の皆様はどうなんでしょ。
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